2006年10月23日

●実名のミクシィと仮想のセカンドライフの違い

三次元のアバターを活用し仮想都市を作るセカンドライフが注目を集めています。セカンドライフを新しいSNSと考える見方も増えています。リアルワールドの実名やオフ会など、ネットの仮想世界を現実の物理的世界に近づけた、これまでのミクシィのようなSNSと何が異なるのでしょうか?

関連記事は以下の通りです。

3次元CG仮想世界“Second Life”の人口が100万人突破,新しいSNSになるのかも

http://zen.seesaa.net/article/25705922.html 

ロイター、オンラインゲーム「Second Life」内にニュース支局を開設

http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20275747,00.htm?ref=rss

セカンドライフって何?

米国のLinden Lab が運用しているオンライン3次元CG仮想世界と言うのが定義です。2006年春ごろ参加者数が十万人を突破し、経営誌ビジネスウイークに特集された頃から世界中で注目を集め始めています。以下メディアラボの記事からの引用です。

※引用
このSecond Lifeについては,こちらやあちらで日本語で紹介されている。3次元コンピュータグラフィックの世界の中でデジタルボディ(アバタ)を作り,リアルタイムに探検したり,創造したり,売買したり,出会ったり,ゲームを楽しんだり,所有したり,事業を起こしたりできるようだ。この仮想社会で通用する通貨(“Linden dollars”)が存在し,その通貨を使って土地を購入したりする。Linden dollarsは現実のドルに換金可能だ。下の画面は,Second LifeのReuters News Centerに掲載されていた図である。Linden Dollar と US Dollar の為替レートや,1日当たり45万ドル(USドル)の取引があったことがわかる。土地代などの購入に多くのバーチャル貨幣が使われていけば,それに応じたリアル貨幣がLinden Lab の懐に入っていくことになるのか。
※引用終わり

参加者数が約100万人ですが皆でネット上に仮想都市を一から作ろうと言う試みです。ゲームのようなシナリオも何もありません。皆アバターとして登場し、自由に家を建てたり、道具を造ったり、商売をしたりしています。実際、セカンドライフ内で作った服装など小物を売って生計を立てている人も多いです。内部通貨の280リンデンダラーを一ドルとして換算します。(セカンドライフ内の現在のレートです。) 

何故実名主義の対極のセカンドライフが流行り、SNSとして注目されるのか?

孤立、孤独、接触飢餓が満ち満ちた21世紀の社会に暮らす人々のコミュニュケーション欲求を満たすのは、必ずしもミクシィのようなSNSだけではありません。コミュニュケーション欲求は『動物の森』のような任天堂DSの中に広がるゲームでも、MMORPGによっても満たされます。

韓国で大流行のアバターなども一種のゲームの要素を持った仮想空間と考えることができます。セカンドライフを新種のSNSと看做す見方は、米国から出てきた発想です。元来、SNSは別にシックス・ディグリーズ・コムやフレンドスターから始まったものでは無く、アフリカの都市研究から始まった社会的なネットワークを意味します。日本では単にソフトウエアの仕組みと理解されていますが、それは間違いです。

セカンドライフのようなネット上の仮想世界での社交をSNSの一種と考えるのも自然な姿の一つだと思います。そもそも現在、ミクシィなどで問題になっている実名登録は、米国のSNSフレンドスターが始めた『実名原理主義』が発端でした。この時は健全な出会い系の要素も目ざしていたので実名と言うアプローチになった訳です。

あるべき自分の姿をアバターとして表現し、成りたい自分になれるセカンドライフのような社交の形態は昔からネット上で提案されていました。社交の手段としては対面の世界でも仮面舞踏会やコスプレなどがあります。

大手百貨店が運営するコミュニティ・ブログなどで『着物を着て歌舞伎を見よう』と呼びかけ、シニア層の女性が着物を着てつかの間の『姫の気分』を味わい、帰りにお礼として反物を買っていくと言う試みがあったそうです。これと本質的に同じだと思います。女性の持つ美しいプリンセスに憧れるシンデレラ症候群と言う心の渦の働きが、このような経験マーケティングに行くか、セカンドライフに行くか、テーマパークを訪問するかの違いでしょう。着物を着て参加する歌舞伎の世界を一種のテーマパークと考えることもできますよね。

ポストモダンの自己論が基本

それぞれの個人が潜在的に持つ欲求をネット上で自由に表現する、一種の複数の自己表現は、社会学のポストモダンの自己論の中で既に確立されています。人は色々な文脈によって異なる顔を持っていると言うシナリオですね。会社では課長の顔、自宅では父親の顔、土日はサッカーのコーチと言う顔の使い分けです。最近では大手企業の女性社員も結婚後、名詞の名前を変えない事例が増えています。ビジネスの顔は継承性の問題もあり旧姓を使う、一方妻の顔は夫の姓を使うと言う訳です。エクスペリエンス(経験)における自己表現として仮想の自分を表現しても、それは心の中の潜在的な自分自身であり、自分の一部です。(社会学者シュッツの複数の現実論、ユング心理学、ポストモダンの自己論など参照)

この点はミクシィでも本質的に同じです。ネットコミュニティであるミクシィ上で初めて出会った、例え多少の写真が有ったとしても顔も見えない異性(同性も同じ)に対しては、私たちは過去、物理的な世界で経験した異性(同性も同じ)のイメージを無意識の内に貼り付けています。

これを転移と言います。漫画のドラえもんに無意識に適当な声を貼り付けて読んでいた現象と同じです。だからアニメで大山のぶよさんがドラえもんの声を担当した時には『イメージが壊れる!!』と一部のファンが猛反対をしました。

ミクシィもセカンドライフの違いはルールとしての社会環境の違いであり、心理学的な面や社会学面での本質は同じだと考えられます。ミクシィに飽きた筆者としてはセカンドライフが日本でも始まらないかと期待しているのですが、誰か始めませんか?
日本ナレッジマネジメント学会 専務理事 山崎秀夫

Posted by sns at 2006年10月23日 21:23
トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://socialnetworking.jp/b/mt-tb.cgi/2921

コメント

EDIT