2007年08月28日
●セカンドライフに見る極楽浄土派と娑婆世界派の愉快な対立
ネットコミュ二ティの本質議論がセカンドライフで進行中です。「ネットコミュ二ティは仮想コミュ二ティか、現実の人の群れ(集団)の延長か」と言った議論は、日本ではmixiやGREEの登場時、実名原理主義の下、これまで全く無視され、唯仕組みだけが米国の物真似で輸入されました。
流石に米国では本質が議論されています。もっとも一方で米国にもタイム誌やフォーブス誌など、読むに耐えないセカンドライフへの稚拙な批判もありますが。(この二紙のセカンドライフ批判は日本の一般的なブログの批判並みに全体把握が幼稚、殆ど参考にならない。)
さてこの議論は 「極楽浄土派」・・・・・Immersionist
「娑婆世界派」・・・・・Augmentationist
と言う風に分類されています。
▼Augmentation vs Immersion( secondlife creativity)
http://slcreativity.org/wiki/index.php?title=Augmentation_vs_Immersion
●「極楽浄土派」とは
ネットコミュ二ティを現実世界と切り離された「極楽浄土」と見做し、自らのアイデンティティを物理世界と全く別のものとし、羽根が生えたようなアバターを使うのが「極楽浄土派」です。セカンドライフは現実と異なる「仮想世界」だと言う訳ですね。
これは通常のネットコミュ二ティでも嘗て時々見かける現象でした。
昔、日本でも有名な事件を引き起こした自殺サイトの運営者は「ドクターキリコ」を名乗っていました。ネットコミュ二ティ=仮想社会において現実社会とまるで異なる自分を演出して居た訳です。これは複数の自己を主張する見方です。
● 「娑婆世界派」とは
一方「娑婆世界派」と言うのは、ネットコミュ二ティを現実を補完する単なる手段と見做します。SNSで支配的であった「実名原理主義」の主張はこれに相当します。また多くの企業の社内SNSも「娑婆世界派」の主張が通っているようです。
「アイデンティティは物理的世界でもmixiのようなネットコミュ二ティでも一つであるべきだ」と言う主張です。ネットは娑婆世界の延長にある道具に過ぎないと言う見方です。
セカンドライフで現実のブランド商品を販売する企業のアプローチや似顔絵アバターを使う企業のアプローチがこれに当たります。
● ネットコミュ二ティの本質議論
セカンドライフでは企業の進出を巡って「極楽浄土派」と「娑婆世界派」の対立が表面化しました。いわばアメリカ西部に移住して「豊かな農村で西部劇」を演じようとしていた人々=「極楽浄土派」の人々が、東部から企業が大挙して西部に進出し、大都会を作って「農村の田園風景」を破壊するのに抗議のデモを行なったようなイメージでした。企業及びビジネスを支持する人々は都会の企業論理をそのまま持ち込み、西部の理想を壊す「娑婆世界派」の悪者だと言う訳ですね。
最近のセカンドライフの出来事では、ボイスチャットの導入を巡って両者は対立しています。「極楽浄土派」によれば「折角、男性が女性になって楽しんでいるのに、ボイスチャットは娑婆世界の声を浄土に持ち込む悪い道具だ!!」と言う訳ですね。
●両者の両立とバランスが鍵
さて企業内SNSが上手く実践されている金融機関を含む一部の企業では、実名登録だけでなく、ニックネームによるやり取りや完全匿名の社交を基本にして運用しているケースがままあります。
これは明らかに「極楽浄土派」と「娑婆世界派」のバランスを取ったアプローチと言えましょう。
例えば元部長経験者が質問し、入社3年目の女子社員が答えると言ったQ&A型のやり取りが企業内では時々散見されます。職位職階に係わらず人間関係を水平にして知識を共有したり、お互いの親密感や一体感を醸成する手段としては、仮想世界に見る「極楽浄土派」のニックネームアプローチなどが明らかに優れています。
一方で企業内のネットコミュ二ティで社長がメッセージをブログやSNSで出す時には、実名を出す「娑婆世界派」のアプローチが求められます。
また国内のセカンドライフ内日本人居住区では、恒常的に活動する市民グループがネットイベントとして「世界陸上の開催計画」を立て、行動に移そうとした際、現実に世界陸上の窓口を担当する広告代理店から名前の使用にクレームが付き、初めて「娑婆世界」から大きな圧力がかかったと言う例が最近ありました。
これまで日本のネットコミュ二ティ議論に欠けていた「極楽浄土派」と「娑婆世界派」の議論、社会環境に注目したペルソナ議論に素直に耳を傾けよう。
日本ナレッジマネジメント学会 専務理事 山崎秀夫
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